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2011年4月、宮城県亘理町でのボランティア経験 (旅の番外編その12)

先日、宮城県亘理(わたり)郡亘理(わたり)町に行ってきました。
亘理町を訪れた理由は1つ。それは…

東日本大震災があった1ヶ月半後(2011年4月)に僕は、
亘理町でボランティアをさせていただきました。

『その地が今はどのようになっているのだろう』と思い、
今回亘理町を訪れました。
(ボランティアも考えましたが、現在は毎日行われていないようなので、
今回は『少しでもお金を使い、協力する』という形にしました)


そして、このようにブログも色々な方に見ていただいているので、
当時のボランティアで体験した内容を読んでもらい、
できたらなにかを感じてもらえたら、と思いました。


旅日記とは直接関係なく、駄文に加え長文となりますが、
お付き合いいただければ幸いです。


それでは、よろしくお願いします。


-----------------

まずはじめに…

ボランティアを「亘理町」で行った理由。

「石巻」「陸前高田」「南三陸町」など、
比較的多く報道される場所には人が集まるだろうなという思いもありましたが、
「亘理町」にした理由は主に以下の2つでした。


①拝見した活動日記に心を打たれたこと

各地域で、日々の活動内容やブログをやっていて、
ボランティアをするにあたり一通りみさせてもらいました。
その中でも亘理町の活動内容が“特に”生き生きとしていたように見え、
「ここでやりたい」、「手伝いをしたい」と思えるものでした。


②自分を必要としてくれたこと

ボランティアをしたいと思っていても当時は、
一般のボランティアの受付が一斉に開始された時期で、
参加者が一気に膨れ上がりました。俺もやりたい、私もやりたいと。

そんな膨れ上がった参加者を、ボランティアセンターが
全てを抱えることができなくて『逆に困っている』、
という報道がされていました。

手伝いをしたいのに逆に地元の人の足かせになっている。。
これほどの愚の骨頂はありません。

さらに僕が行こうと思っていたのは、
震災後初の大型連休のゴールデンウィークです。

現地に向かう前に、亘理町のセンターへ電話をしました。
電話の向こうでは、何十、何百と同じ問い合わせがあるだろうに、
そんな中でも対応してくださった方は親切、丁寧に接してくださりました。

そして最後に一番気になっていたことを聞きました。


「GW、そちらにお伺いしてご迷惑じゃないですか…」


電話の向こうのセンターの方が答えてくれました。


「やることはいくらでもあります!ぜひ、お願いします!」


決まりました。
行こう、行ってボランティアをさせてもらおう。
そこからはマスク、長靴などの作業道具一式を揃え、
2日分の食料を買いこみ、仙台行きの夜行バスに乗り込みました。


作業1日目…

早朝に仙台に着き、そこから電車で30分ほど南下。
(亘理より南は運休状態…)
亘理のセンターに着き、さっそく手続きを済ませます。

亘理町の作業の決め方は…

ボランティアをしに来た沢山の人の前で、
センターの男性が拡声器でとある紙を読み上げます。


「○○さんの家のヘドロのかきだしです。8名でお願いします」


「5人、5人!!」

「7人、7人!!」


これは、作業者が「5人グループで行けるぞ」、
「7人グループで行けるぞ」という意思表示です。
手を挙げて司会の男性にアピールします。


「ではそこの5人グループと3人グループの方たち、前に来てください」


ここ亘理町ではそのように決めていきました。
僕も手を上げますが、1人というのはいかんせん見てくれない。
あせった自分は、となりのおじさんに話しかけ、
2人グループとなることに成功。作業も決まりました。

まずは注意事項

・沿岸部には絶対に近寄らないこと。
この時は沿岸部は本当に危険で、
一般人が入ってはいけないと説明を受けました。

・写真なども被災者の心情を考え、行動すること
これは今でもそうだと思いますが、
当時はさらにナーバスだったと思います。


そして、実際に作業現場へ向かう途中…


建物に張り紙が貼られている家がある。白い紙や赤い紙…。
これは、倒壊の危険がある自宅に貼られている紙で、
「近寄ってはいけない」、というもの。
赤い紙はさらに危険である、というものです。。

作業現場に着き、作業開始です。
僕が作業をしたご自宅は、
津波が180センチくらいの高さまできたところ。
家にもくっきりその跡がありました。

さっきのおじさんと床下のヘドロだしを行います。
また、参加者には女性もいたけれど、
誰もなにも言わなくても男子は力作業、女子は掃き掃除などの軽作業と、
自分の役割が自然と出来上がっていました。
お昼には、そのご自宅に住んでいらっしゃる方からの、
『生の声」も聞かせてもらいました。


1日目の作業が終了。


センターに戻ってくると…
「18時から懇親会がありますのでご参加ください」の文字が。
飲み会でもやるのだろうか。。

18時までには時間があったので、その間に一緒に作業をしたおじさんと、
自衛隊が用意した臨時の仮設風呂に入り(これはすごい助かった)、
弁当を食べてセンターに向かうと…

そこでは朝の運用方法について、
センターの人と作業者で、真剣な話し合いが行われていた。
少しでもスムーズに、段取り良くするにはどうしたらよいのか…

こういってはアレですが、昨日今日知り合った人たちです。
さらには自分たちには1円にもならないことを真剣に話し合っている。。


日本人ってすごいなと思いました。


それと同時に、飲み会があると思っていた自分が恥ずかしくなった。。
また、僕が抱いていた『1人問題』も議題に上がり、次の日には解決していました。

最後にはセンターの地元の女子大生の子、かな?
その子があいさつをします。一部分は今でも覚えている。


「日々の作業お疲れ様です。こんなこと(震災)がなければ、
亘理という町を一生知らなかったと思いますが…^^;」



はにかみながらスピーチする彼女をみて、
みんなクスクスっと笑った。僕も笑った。
正直、図星だったから。

それでも、さっきまでのピリついた空気は、
この一言で和んだことはいうまでもありませんでした。


作業2日目…

今日はさらに人が増えることが安易に想像できたため、
センターが開く30分前に向かうと…
すでに凄い人、人、人。これにも驚いた…。
しかもきっちり列をなして並んでいる。
(震災当日の駅のホームなどで、パニックなどを起こさず、
きっちりと1列になっている報道が海外で賞賛されていた…ことを思い出した)


そして、昨日一緒に作業した顔を見つけては、
「今日も一緒にやろう」とおたがい声を掛け合い、
僕らは一気に8人グループとなっていました。

そんなグループで話していると…
センターの司会の男の子が、ガテン系の人たちにボコボコ叩かれている。

「今日もよろしくな」
「がんばろうな」

人気あるなあ。好かれてるなあ。
それはまさに、ホームランを打った野球選手のようにボコボコと叩かれていた。
男の子は背中を丸めて苦笑いをしていたけれど(笑)。

でも、そんな彼が“好かれる理由”がすぐに分かった。
彼が拡声器を持ち、みんなに呼びかける。


「申し訳ございません、ただいま準備をしております。
今しばらくお待ちください!!」



本当に申し訳なさそうに、真剣なまなざしで。


「いいよいいよ、そこまで言わなくても。
こっちは好きで待ってるんだから」


思わずそう言いそうになった。
そのくらい彼は、申し訳なさそうにしていたから。。

2日目の自宅も泥がひどくてヘドロだしや床磨き。
やがて作業も終了です。



と、以上が当時のボランティア経験ですが、
たった2日間だけど、とても貴重な体験、経験をさせてもらいました。

そんな亘理町がいま、どうなっているのだろう。。
僕は、1年5ヶ月ぶりに亘理町を訪れました。。

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2012/10/18 18:18 |番外編COMMENT(0)TRACKBACK(0)  

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